むかし、ある国にロアンという男の子がいました。
ロアンは、六歳です。
でも、お父さんとお母さんは、いません。
ロアンの住む国には、悪い竜がすんでいました。
時々、山の向こうからやって来ては、強い風を起こします。
つい最近も、たくさんの家や橋が壊されました。お父さんとお母さんは、その時の怪我がもとで、死んでしまったのです。
ロアンは、ひとりぼっちでした。
夜になると、寂しくて涙がとまりません。
今は教会で、同じように親のいない子供たちと一緒に暮らしていますが、悲しみはますばかりです。
そんな、ある日のことでした。
教会の前に、一台の立派な馬車がとまりました。
神父様が、うやうやしく出迎えています。
馬車の扉が開くと、中から出てきたのは、とてもきれいなドレスを着た女の子でした。
ふわふわした髪は、お日様の色。
ぱっちりした大きな目は、空のような青色です。
ロアンよりもずっと背が低く、まるでお人形のようです。
ぽかんとしている子供たちの前で、女の子は言いました。
「みなたん、こんにちわ。わたくちは、ミリーナ王女です。よろちくね」
ロアンはびっくりしました。
なんと、その女の子は、この国の王女様だったのです。
家来や召し使いたちが、大きなかごを、次々と部屋へ運びいれます。
甘くおいしそうな匂いに、子供たちは、それが何なのかすぐにわかりました。
「わあい!お菓子だ!」
「パンもある!こっちはイチゴのジャムだ!」
一斉に歓声があがります。
王女様はテーブルへとみんなをまねいて言いました。
「おいちいおかちを食べて、元気をだちてね。みなたん、めちあがれ」
「ありがとう、王女様!」
子供たちは大喜びです。
すぐにお菓子を食べ始めました。
おなかがぺこぺこだったロアンも、夢中で食べています。
こんなにおいしいものは、今まで食べたことがありません。
すると、王女様が目をきらきらさせながら、ロアンのもとへとやってきました。
「おかち、おいちい?」
小さな王女様は、まだ、ちゃんと話すことができないようです。
でも、その可愛らしさに、ロアンの胸がどきどきとなり始めます。
「うん。とってもおいしいよ!」
そう言うと、王女様の顔が、ぱっと明るくなりました。
ロアンは嬉しくなって、持っていたお菓子を王女様にすすめました。
「きみも食べなよ」
「わたくちも?いいの?」
「もちろんさ!」
ロアンはそう言い、すばやくいすを下りました。
王女様の分のいすを運んできて、となりにすわらせます。
そんな二人を、大人たちはにこにこしながら見ています。
ロアンはお菓子を食べながら、王女様にたくさんのことを尋ねました。
えらい王様や、勇敢な騎士についてです。
竜が来ると、いつも騎士が戦って、町から追い払ってくれるのです。
騎士は、みんなのあこがれです。
すると、王女様が言いました。
「あなた、きちになりたいのね?」
思いもよらない言葉に、ロアンはとびあがりました。
もう少しで、いすから落ちるところです。
「ちがうよ!それに、ぼくなんか、騎士になれっこないんだ」
「まあ、ちょんなことはなくってよ」
王女様は、ぴょんといすからとびおりました。
ちっちゃな手を伸ばして、ロアンの茶色い頭におきました。
「あなたのお名前は?」
「え? ロアンだよ」
「ロアン。あなたをわたくちのきちにちまちゅ。よく、ちゅかえるように」
そう言った王女様は、とても満足そうです。
でも、ロアンはおどろきのあまり、今度こそ本当にいすから落ちてしまいました。
いきなり騎士にされてしまったのです。
どうすればいいのかわかりません。
第一、騎士になれば、剣を持って竜と戦わなければならないのです。
ロアンは、急にこわくなりました。
断ろうと思い、痛いお尻をさすりながら立ち上がります。
けれど、その時でした。
窓の近くで大声があがったのです。
「竜だ!竜が飛んでる!」
王女様の家来たちが、すぐに窓へとかけよります。
そうして、しばらくじっと見た後で、泣き出した子供たちへ向かって言いました。
「大丈夫だ。行ってしまった。もう安心だ」
けれど、またいつもどってくるかわかりません。
王女様は、すぐにお城へ戻ることになりました。
「みなたん、泣かないでね。またおかちを持ってきまちゅからね」
「うえーん。さようなら」
「王女様。またきてね」
泣きながら、子供たちが馬車を見送ります。
でも、そこにロアンはいませんでした。
ロアンは、テーブルの下で震えていました。
竜がいると聞いたとたん、こわくて動けなくなってしまったのです。
「こわいよう……」
ロアンはいつまでも、ぶるぶると震えていました。
それから、十年以上の月日がたちました。
ロアンは、大きくなりました。
今は、町のかじやで、いそがしくはたらく毎日です。
カン、カン。
カン、カン。
ロアンは、一日中、鉄をたたき続けています。
ロアンが、今、作っているのは、竜をたおすための剣でした。
竜のウロコは、とてもかたいので、強い剣が必要です。
竜は前にもまして、町を襲いにやってきました。
家や両親をなくした子供たちも増えました。
食べ物も少なくなり、国は貧しさでいっぱいです。
その上、お城では、王女様が重い病気にかかっていました。
いつものように、教会へお菓子を届けに行く途中で、竜におそわれたのです。
竜のはく息には、おそろしい毒がありました。
王女様はその毒のせいで、いつ死んでしまうかもしれないのです。
カン、カン。
カン、カン。
二日たっても、三日たっても、音はなりやみません。
かなづちを持つロアンの手には、血がにじんでいます。
真っ赤に焼けた鉄のかたまりは、打つたびに火花をちらして、からだを焼きました。
でも、ロアンはやめません。
剣は、もう少しでできあがるのです。
「ええい!」
そうして、力を込めた最後のひとふりが打ち下ろされました。
「できたぞ!」
ロアンは剣をさやへおさめると、丘の上のお城をめざしました。
「王様!」
広間に着くと、王様は、玉座に力なくすわっていました。
竜との長い戦いで、髪もヒゲも真っ白です。
でも、ロアンの声を聞くと、ぱっと目を開けて叫びました。
「おお! かじやのロアンではないか! 剣ができたのだな!」
「はい! 王様。竜を倒せる剣です。ごらんください」
ロアンは、すらりと剣を引き抜きました。
長く太い剣は、恐いくらいに輝いています。
今までに見た、どんな剣より強そうです。
「おお、これならば、竜を倒せるかもしれん。しかし…」
王様は、がっくりとうなだれました。
「もう、この国に騎士はおらんのだ」
「ええ?!」
ロアンは驚きました。
せっかく竜を倒す剣を作ったのに、戦う騎士がいないと言うのです。
「竜を倒すために山へ向かわせたのだ。だが、誰も帰ってこなかったのだ」
王様は、おいおいと泣き出しました。
ロアンも泣きたい気持ちです。
でも、ぐっと歯を食いしばって言いました。
「王様。おれが竜を倒しに行きます」
「しかし、おまえは、ただのかじやではないか?」
王様の言葉に、ロアンは剣を持って立ち上がりました。
ブーン、ブーン、という音とともに振り回します。
重いはずの剣が、まるで棒きれのようです。
その見事さに、王様は心から感心しました。
「そなた、かじやであろう? どこでその剣を習ったのだ? 」
ロアンは、答えました。
「そうです。おれは、ただのかじやです。でも、強い剣を作るために、修行もしました」
それを聞いて。王様はますます感心しました。
「そうだったのか。よくわかった。竜を倒しに行くがいい。必ずもどってくるのだぞ」
ロアンは、しっかりとうなづき、お城を後にしました。
それから三日後に、ロアンは竜の住む山につきました。
ごつごつした岩の壁が、目の前に立ちはだかっています。
しかし、ここを登らなければ、竜のすみかへ行くことはできません。
ロアンは馬から下り、がけを登りはじめました。
石のでっぱりに手や足をかけ、しんちょうに進みます。
頂上は、雲にかくれて見えません。
冷たい風が、ビュービューと吹きつけ、ロアンの体は凍えました。
下を見れば、乗ってきた馬が豆粒のようです。
落ちれば、命はありません。
ロアンは、苦しい息をつきながら、それでも進み続けました。
そして、ついに頂上へとたどり着いたのです。
そこは、巨大な柱が立ち並ぶ、神殿のあとでした。
見回すと、あちらこちらに、血を流して倒れている騎士がいます。
王様の言ったとおり、騎士は全滅してしまったようです。
すると、柱のかげから一人の騎士がふらふらと出てきました。
そして、ばったりと倒れてしまいました。
「あっ!」
ロアンは、その顔に見覚えがありました。
大騎士セダールです。
ロアンは大騎士の大きな体を抱き起こしました。
「しっかりしてください!」
セダールは、うっすらと目を開けました。
「おお。おまえは、かじやのロアン……なぜ、ここに?」
ロアンはセダールに、持っていた水をのませました。
「おれは、竜をたおすためにきたんです」
「まさか……おまえには無理だ。竜が恐ろしくはないのか?」
「恐いです」
ロアンは、正直に答えました。
本当は、子供のころと同じように、ぶるぶるとふるえています。
でも、そんな時、ロアンはひとりの女の子を思い出すようにしていました。
十年前、教会でお菓子をくれたミリーナ王女です。
あの日、竜があらわれたと聞いた時は、恐くて声も出ませんでした。
しかし、となりを見ると、ミリーナ王女もまたぶるぶるとふるえていたのです。
でも、王女は泣きたいのをがまんして、子どもたちに笑顔を見せたのでした。
「竜は恐ろしい。でも、きっと倒します。この剣で!」
ロアンは、引き抜いた剣をセダールに見せました。
天に向かってかかげた剣は、太陽のような光をはなっています。
固い決意をこめた表情に、セダールは何かを思い出したように、はっとしました。
「そうか……王女がいつも言っていたロアンとは、おまえのことだったのか。王女が幼い頃、騎士の約束をしたという、『王女のロアン』が……」
そして、天をあおぎながら、つぶやきました。
「神よ。王女の騎士があらわれました。きせきをかんしゃします……」
「セダール様!しっかり!」
がくりとなったセダールを、抱き起こします。
しかし、セダールの命は、どんどん遠のいているようです。
ロアンは大騎士の体を、そっと横たえました。水と食料の入った袋をそばにおきます。
「待っていてください。必ず竜をたおしてもどってきます!」
そう言うと、ロアンは神殿の奥へと向かって走り出しました。
「出てこい!どこにいる!」
こわれかけた神殿は薄暗く、静けさがみちていました。
ロアンの声と、足音だけがひびきます。
広間へでると、ロアンはぎょっとして、立ち止まりました。
暗がりの向こうに、不気味に光る赤い目を見つけたからです。
どしん、と大きな地ひびきがおこりました。
やみの中から、家ほどもあるような竜が姿を現します。
竜はロアンを見ていました。
燃えるような赤い目です。
ロアンは剣をかまえ、逃げ出したくなる気持ちを必死におさえました。
「来い!」
「ギャオオオ!」
耳がさけるような雄叫びがあがり、竜が飛び上がりました。
風をおこしながら、ロアンにおそいかかります。
大きな口が、目の前にせまりました。
ぞろりと並んだ牙につかまるまいと、ロアンはすぐさまとびのきました。
そして、手にした剣を思い切り、竜のわき腹に突き立てます。
剣はぐさりと、硬いウロコを貫きました!
「やったぞ!」
しかし、喜んだのは、一瞬でした。
竜が、からだをひとひねりしただけで、ロアンは簡単にはじき飛ばされてしまったのです。
そればかりではありません。
竜は、さらにロアンを追いつめて、攻撃をしてきました。
何度も剣で防ぎますが、牙や長い爪で、次第に体が切り裂かれていきます。
そして、ついにロアンは壁に追いつめられてしまいました。
「ギャオオオ!」
竜が、毒の息を吐きながら突進してきました。
逃げ場をさがしたロアンは、とっさに光が射し込む場所へと走りました。
そこには、天井にぽっかりと穴があいていて、大きな日だまりができています。
降りそそぐ太陽の光の下で、ロアンは思わず剣をかかげました。
「グルルル!」
剣に光が集まり、目もくらむほどの輝きが生まれます。
竜の赤い目がまぶしさで閉じた瞬間を、ロアンは見のがしませんでした。
「うおおおお!」
ロアンはすばやく竜の下にもぐり込み、剣をかまえなおすと、こんしんの力で突き上げました。
剣は竜のかたい首に、ふかぶかと突きささります。
「ギャオオオオ!」
しかし、竜も負けてはいません。
振り回した鋭い爪が、ロアンの右肩にぐさりと刺きさったのです。
ロアンは、気が遠くなるような痛みに耐えながら剣を引き抜き、ええいとばかりに心臓へ突き刺しました。
「ウギャオオオ!」
だんまつまの声が上がります。竜は、ついにぐらりと揺れて倒れました。
「やったぞ……」
しかし、ロアンもまた、がっくりとひざをつきました。
竜にやられた傷は深く、もう、立つこともできません。
神様……と、ロアンは心の中で呼びかけました。
『悪い竜が死に、これからは国も栄えるでしょう。やっと、平和がおとずれます。でも、どうか、ミリーナ王女だけは助けてください。おれの命と引きかえに……』
そうして、ロアンはいつしか目を閉じました。
竜が退治されたことは、間もなく国中に知れ渡りました。
皆は心から喜び、お祝いの日々が続きます。
ロアンは生きていました。
後からやって来た王様の家来たちに助け出されたのです。
でも、まだまだ傷が治らず、山のふもとの小さな村で過ごしています。
セダールも生きていました。
傷が早く治り、今では元気いっぱいです。
セダールは、時々、ロアンに会いに来ました。
「ロアン。具合はどうだ?」
大騎士のお見舞いに、ロアンはベッドの中で、もじもじとからだを動かしました。
「はい。もう大丈夫です」
それは嘘でした。
竜の爪が肩に食い込んだ時、骨がくだけてしまったのです。
もう、剣はおろか、かなづちを振り下ろすこともできません。
かじやの仕事も、もう、できないでしょう。
「心配するな。仕事なら用意してある。楽しみにしておれ」
「本当ですか?」
セダールは、見た目は恐い顔をしています。
でも、何度か話をするうちに、とても優しい人だとわかってきました。
それに、お城では、ミリーナ王女もすっかり元気になったと聞きます。
はればれとした気分です。
ふと気がつくと、セダールがじいっとのぞき込んでいました。
ひどく、むずかしい顔をしています。
「しかし、『王女のロアン』がまさか、おまえだったとはな」
ロアンは、『え?』という顔をしました。
セダールは、時々、みょうなことを言うようです。
わからぬといったロアンに、セダールは話し始めました。
「ミリーナ王女はな。いつの頃からか、自分にはロアンという騎士がいるのだと言い出したのだ。自分だけの騎士で、いつか竜を退治してくれるとな。だが、それがどこのロアンか、覚えていないと言う」
ロアンの心臓が、どきりとはね上がります。
幼い頃の思い出が一気によみがえりました。
王女様は、ロアンのことを覚えていたのです。
でも、あまり小さすぎて、そのほかのことは忘れてしまったのでしょう。
「城では、『王女のロアン』の話は有名だったのだ。わしは、ずっと王女の空想だと思っていた。だが、騎士は本当におり、見事に竜を退治してのけた」
「待ってください。おれは、本当に騎士ではないんです!」
ロアンは、あわてて首を振りました。
竜をたおすために、必死に努力はしました。
でも、ロアンは『かじやのロアン』です。
「まあ、よいではないか!」
セダールは、そう言って立ち上がりました。
「また来る。元気でおれよ」
バタンと扉を閉めて、大騎士が帰って行きます。
一人きりになったロアンは、ぼんやりと考えました。
あの日、ミリーナ王女は、どうして自分を騎士にするなどといったのでしょう?
もしかしたら、小さい王女は、本当に自分だけの騎士が欲しかったのかもしれません。
騎士がいれば、恐ろしい竜から守ってくれると思ったのでしょう。
もしそうだとしたら、ほんの少しは、『王女のロアン』になれたのかもしれない。
ロアンはそう思いながら、少しだけ笑いました。
その頃、お城では、新しい王様を迎えるじゅんびをしていました。
古くからのほうりつで、悪い竜を退治した者は、王様にならなければならないのです。
『王女のロアン』がそのことを知り、ぶるぶるとふるえて逃げ出したくなったのは、もうちょっと先のことでした。