谷間の白い道を、賑やかな一行が通り抜けていた。
 陽気な声は、村の娘たちのものである。
 時に笑い、時に軽やかな歌が響いた。
 重なり合う声が響きあい、岩だらけの谷間をかけぬけてゆく。
 
 娘たちは仲が良かった。
 この日も互いに誘い合い、朝早くから荷馬車へと乗り込んだ。
 行く先は、谷を抜けた先にある隣の町で、いくつかの日常品を買うことになっている。
 
 しかし、親から言い付かった買い物ながら、娘たちの身支度は念入りに見えた。
 シミひとつないブラウスに、布をたっぷりと使った色鮮やかなスカート。
 普段は編みこんでいる髪も綺麗に梳きほぐされ、唇には薄く紅が引かれている。
 娘たちは年頃であり、当然のことながら彼女たちのお目当ては別にあるのだった。
 
 村の男たちもたくましいが、町の男は喋りが上手い。
 
 市場で働く若者の呼び声は、彼女たちの好奇心を大いに誘っていた。
 目の色が綺麗だと言っては褒め、髪が美しいと言っては良い気分にさせてくれる。それがお世辞とわかっていても、褒めそやされて悪い気がするはずもない。
 中には店主の隙を見て、「内緒だよ」と、砂糖や麦粉を大盛りしてくれる頼もしい男もいる。
 からかうようにじっと見つめられただけで、自分がひどく大人になったような気がするのだ。
 
 
 そんな楽しみを前に、娘たちの心はすでに市場へと向かっていた。
 近道である谷間の道は村の者しか知らず、すれ違う者もいない。
 馬を操っている娘でさえ、お喋りに夢中で注意が失われていた。
 だから、行く手を遮るように突然何者かが現れた時も、誰もすぐに気づくことはできなかった。
 
「あっ!」
 
 緩い歩みを続けていた馬が、唐突に止まった。
 ガクンという強い衝撃に娘らは体勢を崩し、慌てふためいた。
 御者台の娘が驚いて前方へと目を向ければ、馬のくつわをがっちりと掴んで離さぬ黒い怪物がいる。
 まるで毛むくじゃらなその怪物に、全員が凍りついた。
 
 
「これは、お美しいお嬢様方。驚かせて申し訳ありませんな。お許しくだされ」
 
 極限にまで達するかと思われた緊張は、丁寧な謝罪の言葉によって中断された。
 喉元までせり上がっていた叫び声が、かろうじて飲み込まれる。
 しかし、それは黒い怪物が人語を発したからというわけではなく、(お美しい)という一言が耳に残ったためであった。
 
 黒い怪物は馬を掴まえたまま、なだめるように長い首をさすっている。
 いや、よく見れば”人”かも知れぬと、そのとき初めて娘らはまじまじとそれを見つめた。
 毛むくじゃらの、と見えたのは、どうやら伸びっぱなしの髪らしい。前か後ろかも判別できぬほどに、大量のひげが顔をおおっている……
 
「道に迷いましてな。近道をしようとしたばかりに、街道から外れたのです。町へ行くつもりが何故かここにおりまして……おお!私は怪しいものではありませんぞ!国渡りの大商人、マグパダと申す者です。世界の果てから果てを行き来して、お望みのものを探してご覧に入れまする。もちろん、お代は……おっと!これはいかん。忘れておったわい」
 
 慌てて動き出した影を、当然のように娘らの目が追った。
 
 馬から離れて全身があらわになると、やはり人であることがよくわかった。
 大きくもないが幅のある風体で、ひょこひょこと前方を駆けてゆく。
 とんでもない髪やひげに加え、黒い衣服と谷間のうす暗がりが、恐ろしいものに見せただけなのだ―――
 
 ゆるゆると動き出した頭で、娘たちは安堵の息を吐き出した。
 互いに顔を見合わせた時には、くすりと笑う余裕すら生まれていた。
 何を言っていたかはさっぱりだったが、それぞれの記憶から、どうやら道に迷った旅商人だということが知れた。

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