ヒルダは祈るように胸に手を当てた。
マグパダのこのようなそぶりには大きな意味がある。何かを知りたい時、或いは次に行くべき道を探る時、彼は時折こうして風に耳を傾けた。
「風には多くの声や情報がとけ込んでおるのです」
以前、マグパダはそう言って、風の秘密をヒルダに解き明かした。
「ですから、耳をすませば自然と聞こえるのですよ。獣の足音や人々の声、荷車の音、鐘の響き……それらは言わば、空をゆく詩のようなものです。わしらは”風を聴く”と言いますがな」
それはヒルダの目に、神聖なものとして映った。
マグパダは遥か先に何があるかを、その特別な耳で聞き取ることができた。遠くの村や町のありかだけでななく、そこでどのような人々が暮らしているかも知ることができる。狼の棲む岩場や山賊が待ち受ける谷でさえ、彼はするりと通り抜けることができるのだ。
旅に不慣れながらこの2ヶ月もの間、さしたる困難にも会わずにいられるのも、その力のおかげと言えた。
しかし、こうして町に着いたとたん、彼の”風聴き”が始まったのは初めてのことだった。しかも、今度はいつになく長いようである。
ヒルダは人や馬がぶつからぬようにと、マグパダの周囲をうろうろと歩き回った。
風がもたらす情報は、今後の旅の行方に大きく関わっている。何かの弾みで重大なことを聞き逃してしまうことだけは絶対に避けたい。
冷や冷やしながら見守っていると、やがて、声を聞き終わったらしいマグパダがひょいと顔を向けた。
ヒルダはほっとして、期待と不安が入り混じった声を出した。
「マグパダ!風はなんと言った?この後、私たちはどこへ向かえばいいのだ?」
すると、いつにない囁き声が聞こえた。
「お待ちなされ」
そうして、小さな背を押され、近くの小路へと誘われる。
マグパダは辺りをきょろりと見回した後、きょとんとしている可愛らしい唇に節ばった指をあてた。
「お静かに…でないと気づかれまするぞ」
「ええ?」
ヒルダは訳が分からず、彼の黒い瞳を見つめた。表情は相変わらずだが、未だかつて、彼がこのような事を言いだしたことはない。
「いったい、何事が……」
「賢者様です」
「え……」
固まったように動かなくなった少女に、マグパダは更に言葉を継ぎ足して言った。
「この町におられまするぞ。ようやく見つけたのです。わずかながら声を聞き取りました。あの方の声に間違いありません。賢者カレイス・ノイ様です」