えっ、と言うどよめきが部屋中に広がった。

「マ、マグ…」

言いかけたヒルダの口元が、さりげない仕草で塞がれる。
マグパダは何食わぬ顔で話を続けた。

「先日、この子の母親が亡くなりましてな。私は頼まれて商売のかたわら、この子の行方知れずの父親を探しているのです。人づてに、よく似た男がこちらにいると聞き、それで、ここまでやってきた次第なのです。父親はまだ若く、歳は二十七、八。髪は灰褐色で瞳は明るい青をしております。細身で背が高く、大変な物知りでもあります」

一気に述べ立て、赤毛の中年女を振り返った。

「ご存知ありませぬかな?」
「ああ、そ、そりゃあ……ないこともないけど……」

咄嗟にそう答え、女はすぐにしまったと言う風に顔をしかめた。
面倒事に関わりあったと言う表情がありありと浮かぶ。好奇の眼差しを向けている娼婦たちをひと睨みした後、しぶしぶといった具合に口を開いた。

「まあ、いるかと言われれば、いるさ。ひと月ほど前に下働きに雇った男が、そんな風体だからね。たいして役にもたたないけど、馬鹿じゃない。見かけより頭はいいんだろうさ」

そう言いながら腰に手をあて、じろりとヒルダを覗き込んだ。伏せる顔を執拗に追いかける。

「でも、似てないねえ。本当に父親なのかい?そんな話は一言だって聞いたことがないんだ」
「間違いありませぬ!」
「そ、そうかい?……でも、他人の空似ってこともあるからね。一応名前くらいは確かめさせてもらうよ」

マグパダは大きく頷いて応じた。

「父親の名は、カレイス・ノイ。或いは、カレイス・オル・ノイと名乗ることもあります。さして珍しい名でもありません。加えて言うならば、口うるさい説教家で、常に眉間に皺を寄せているような男です。いかがですかな?」

言い終わるや否や、部屋のあちこちからくすくすと言う忍び笑いが起こった。
肘掛にもたれていた黒髪の女が、気だるげな声で答えた。

「当たりよ。その子の父親に間違いないわ。会わせてあげたらいいじゃない?どんな親でも、いないよりはマシよ」
「およし!おまえが口を出すことじゃないよ、ルチアナ!」
「いいじゃない。暇だからって、きりきりしたって仕方ないでしょ?可哀想に……あんたが怒鳴るから、その子、すっかり怯えちゃったわ」

組んでいた足を解いて、女はゆっくりと身を起こした。
むき出しの肩にかかる長い髪をかき上げながら、しなやかな動作で絨毯を踏みしめる。ヒルダの前へ立つと少しばかり腰をかがめ、ほっそりとした片手を差し出した。

「いらっしゃい。お父さんに会いたいんでしょ?連れてったげるわ」
「お待ち!勝手なことをするんじゃないよ。おまえを目当てに来る客だっているんだからね!」
「あらそう?でも、稼ぎたいのなら、その間、この人に客になってもらえばいいのよ。気に入った娘を選んでもらって……ね」

そう言って、黒髪の女はつい、と流れるような視線をマグパダへ向けた。

「どうかしら?お連れさん。ここの女主人はお金にうるさいのよ。儲けがないと、いつまでたっても会わせてもらえないわ」
「無論です。私も商売人ですからな。損得勘定は公平でありたいものです」
「よかったわ。話が分かる人ね。この子の事は私に任せていいわよ」

女は、ほんのりとした笑みを浮かべた。唖然としている少女の手を取って、自分の指へと絡める。
ヒルダは慌ててマグパダを振り返った。

「マグパダ……お、お前も一緒に……」
「それは、できませぬ」

マグパダはそう言い切ると、少女の背をそっと押しやった。そうして、その耳元へ囁くような声を寄せた。

「ここから先は、あなた様がお一人でなさるべき事です。賢者はすぐそこにおられるのですぞ」
「しかし……」
「教えたことを忘れてはなりませんぞ」

黒い瞳がじっとヒルダを見つめた。
縋ろうとして伸ばした手が力なく垂れ、幼い顔に諦めの色が浮かんだ。痛ましさすら感じさせる表情で、少女は苦しげに呟いた。

「ま……待っていて……くれるのだろうな?」

だが、返事は得られなかった。
マグパダの前に赤毛女がずいと立ちはだかったのである。見慣れた姿がかき消えると、待っていたように手が引かれ、ヒルダは部屋よりも尚暗い廊下へと歩き出した。



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