日の入り近くになり、汽車はようやく目的の地へと到着した。
 なだらかな連なりを見せる岩山の麓に、ひっそりとたたずむタールの町。
 鉱脈の発見と共に始まった町の歴史ではあったが、ここ数十年の間にその勢いはすっかり失われてしまったという。
 財源となる鉄鉱石の採掘量が急激に減少したことで廃坑が続出し、今や閉山の危機とまで言われている。投資者が次々と引き上げる中、他に寄る術を持たない町は今だ再建のめども立たないらしい。
 それでも、緑の少ない岩だらけの土地にぽつんと浮かび上がった町を初めて車窓から覗いたとき、アテカはその風景を美しいと思った。
 赤や青の色鮮やかな石瓦が家々の屋根を飾り、わずかではあるが、こんもりした緑の空間もある。町の中央付近には、突き出た鐘塔を備えた祈り場らしき大きな建物も見受けられた。近くには大きな川も流れているらしく、水面であろう輝きが時折きらきらと目に入った。周辺には小さな村も点在すると聞けば、意外と住みやすい土地なのかもしれない。

 (よかった。そんなにひどいところじゃなさそう)
 そう思って、いく分安堵したのが、つい半時ほど前のことだ。
 だが、汽車を下りて実際に町を目にしている今、アテカはその考えを大きく修正しなければならなかった。

 (ここがタール・・・)
 古びた煉瓦造りの駅舎をくぐりぬけたアテカは、夕暮れの気配が漂う町並みを受け入れがたい思いで眺めていた。
 目の前に伸びた道は馬車が交差できそうなほどの広さで、町の目抜き通りであろうと思われる。敷き詰められた石畳は堅固なものに見えたが、石の隙間のいたるところから雑草が伸び茂っていた。道の両端には吹き溜まった塵が積もり、流れ来る風に時折あおられては渦を巻いている。
 左右に立ち並んだ建物は何かの店だろうと推測できたが、どこも固く扉を閉ざしたままであった。看板はすでになく、漆喰の壁は剥げ落ちて中の煉瓦がむき出しになっている。二階部分に目をやればどの窓もカーテンが下ろされ、人がいるかどうかもわからなかった。
 そんな道が、緩やかに右に折れて見えなくなるまでずっと続いているのだ。 
 (なんて寂しい・・・まるで、抜け殻みたい)
 刻一刻と近づく夕暮れに、出歩く人影も見当たらない。
 たった今、下車したばかりの乗客たちが家路を急ぐばかりである。
 振り返れば、たった今も駅舎から一人の男が出てきたところだった。
 長く汽車に乗っていたのだろうか。しきりと尻の辺りをさすっている。
 体格もよく働き盛りを思わせる男だったが、日に焼けたその表情には険しいものがあった。
 眉を寄せ、何かの痛みをこらえるように口元は固く引き結ばれている。やがて男は、背を丸めながらあらぬ方向へと立ち去っていった。
 そう言えば・・・と、アテカは下り立った乗客らの様子を思い返していた。
 大概は年配の男たちだったが、中にはデシムのような少年も混じっていた。どの男たちの表情も一様に暗く、笑う者もいない。それでも家族が待っているのか、皆足早にその場を去ってゆくのだった。

 「きっと他の町に仕事を探しに行った帰りなんですよ」
 いつの間にか横にぴったりと寄り添っていたデシムが、そう耳打ちした。
 「どうやら、噂以上の町みたいですよ。鉱脈がほとんど枯れて、町にはもう仕事がないんです。近くの村や町に出稼ぎに行ったり、ああして遠くまで出かけて見入りのいい働き口を探したりしてるんです。最近じゃ、家も土地も捨てて出て行ってしまう者もいるそうですけどね。得体の知れない連中も出入りしてるそうですから、気をつけたほうがいいですよ」
 「得体の知れない連中…って?」
 「噂をすればってやつかな?ほら、あそこに立ってる男、見てください」
 少年の顎がくい、と斜め向こうを指し示した。つられて視線を向ければ、明らかに他とは雰囲気の違う男がひとり、街路樹に身を沿わせている。男たちの中でも一際背が高く、全身は地面まで届きそうな真っ黒いローブで覆われていた。目深に被ったフードからはわずかに横顔が見えるくらいだったが、長く伸びた灰色の髪が一房、胸元に垂れているのが見えた。
 「ね、見るからに怪しいじゃないですか?廃鉱寸前の寂れた街に、なんだってあんなのが出入りするのかって町の住人も気味悪がってるそうなんです。ほんと、胡散臭そうだなあ」
 アテカは小さくため息をつき、相変わらず目をきらきらさせている少年を見上げた。
 車内にいたときからこの好奇心旺盛な少年は、時折ふっと姿を消すことがあった。暫くしては何食わぬ顔で舞い戻るのだが、今のような情報もその時に乗客らから聞き及んだものだと思われた。
 「言っておきますけど!」
 アテカは勢いよく少年に向き直った。きょとんとしている顔をむっとした表情で睨みつける。
 「他人のことは言えないのではなくて?今、私にとって一番怪しいのはあなたですからね。町には無事着いたことだし、さっきのあなたの話からすれば、もう私には用はないはずでしょ?それに―――」
 そう言って、デシムの手にしっかりと握られている旅行カバンを指差した。
 「それを返してくれないかしら?重くて腕が折れるというものでもないのよ」
 汽車を下りるときにさっさと網棚から持ち去られてしまったカバンである。すっかり従者のような役目を担うつもりでいるらしく、いくら言っても返そうとしないのだった。
 「あの人に言われたのは、私をここへ送り届けることだけだったのでしょう?だったら、ここであなたのお仕事は終わりのはずよ。そうでしょう?」
 デシムの意外な告白に驚きはしたものの、その言葉の全てを信じることはできないアテカだった。
 ラクタス・オールランドという不思議な人物をデシムが知っていることは事実のようだが、その彼に雇われているなど、どうあっても信じる気にはなれない。
 なぜなら、二人は全くの別行動であったし、言葉を交わしたはずもないのだから。
 「あなた、いったいどういうつもりなの?こんなところまでついて来たりして・・・」
 不安げに周囲を見回し、アテカは問うた。
 今ではラクタスが引きとめようとした意味も理解できた。この先のことを思えば、安穏としていられないことだけは確かだった。ただ、自分ひとりなら何が起ころうとかまいはしないが、この無関係な少年を関わらせる必要は全くない。
 ふと、返事がないことを不審に思って隣を見ると、なぜかデシムはうっとりした目でアテカを見つめている。
 「な・・・何?」

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