「あたしが・・・迷惑?」
 「そうだ。若い娘は特にいけねえ。ここの娘たちは絶対に一人歩きしねえし、こんな時間は外にも出ねえよ。だから、あんたも早くここから立ち去ったほうがいい。今からおれが隣村まで送ってやるから。な?いい子だからそうしてくれ」
 どうやら大男は最初からそのつもりで声をかけてきたようであった。
 言いたいことを言うと、ついて来いと言わんばかりにさっさと前を歩き出す。アテカはその場にとどまったまま、胸に突き刺さった言葉の意味を考えていた。
 悪い噂は色々聞いた。
 それでもこの町を受け入れて、祖母の思い出を辿りながら生きて行こうと思っていた。
 仕事を見つけ、人々と語らいながら、毎日をささやかに暮らしていければと願っていたのだ。
 なのに、町がアテカを要らぬと言う。
 この男の言うことが本当ならば、自分は邪魔な存在と言うことなのだろうか・・・

 「おい、急がねえと日が暮れちまう。教会の馬車を借りて裏道を走れば、すぐ隣村だ。誰にも見つからねえうちに行かねえと、後が面倒になる。夜は特に危ねえんだ」
 一向に動こうとしない二人に,、じれた様子の大男が戻ってくる。俯いたままのアテカを覗き込むと小さくため息をこぼし、今度は懇願するような口調で頼み込んできた。
 「なあ、お願いだ。おれたちは、これ以上余計な面倒を抱え込みたくはないんだ。町は悪い奴らが牛耳ってるし、今年に入ってもう五人も怪我人が出てる。表向きは事故だが、実際はそうじゃねえ。それ程ここは恐ろしいところなんだよ。頼むからわかってくれ」
 縋るような大男の目に、アテカは混乱を隠せないでいた。
 ここへ来るまでの道のりが長くなかったといえば嘘になる。祖母を失って半年は泣き暮らしたし、立ち直るまで三月はかかった。村を出る決心に至るまで、更に三月。単に距離の問題ではなく、二度と戻らぬという覚悟をしてきている。絶対に譲れないものがあるとしたら、今、正にアテカの決心がそれであった。
 「嫌です・・・やっと、ここまで来たんです。もう、帰るところもないんです。だから・・・」
 か細く、消え入りそうな声ではあったが、耳には届いたのだろう。大男の顔が泣きそうに歪んだ。
 「あんたの事情は知らねえがよ・・・これだけ頼んでもだめかい?おれのことが信用できねえってんなら、牧師はどうだ?なんならエーゼルのかみさんに会わせてもいい。マスビックの姉さんでも、ルキッツオんとこの婆あでも。誰でもいい、とにかく納得がいくまで話を聞いてくれねえか?」
 「・・・話を?」
 「そうだ。女が沢山いるところに連れてってやる。その方があんたも安心だろ?な?そうしてくれ」
 もはや嫌とも言えず、立ち去ることもままならないように思えた。すぐにでも出て行かせたいところを、なんとか譲歩しているのがよくわかる。
 ここで我を通せば、無理にでも連れて行かれるだろうか?
 そんなことを考えてちらりとデシムに目をやれば、いつもののほほんとした笑みを消し、何やら気難しい表情であらぬ方向を見据えている。
 駄々をこねれば、この男たちの間でまたさっきのような喧嘩が始まるかもしれない。と言って、素直に話を聞いたところで、なし崩しに町を追い出されることも考えられた。
 だが、いずれにしても、今、避けるべきは無用な争いなのだろう。
 アテカは抗うことを諦め、こくりと頷いた。
 とたんに大男の顔がぱあっ、と明るくなる。 
 「そうかい!よかった。あんたはいい子だな、嬢ちゃん」
 よく見れば可愛らしいとも思える小さな目には、青灰色の光が澄んだ輝きを放っている。
 いかつい身体に似合わず、元々は人が良いのだろうと、心の中でくすりと笑った。思えば、幾人かの住人がアテカらのことを見たにもかかわらず、声をかけてきたのはこの男だけであったのだ。町のことを思いこそすれ、このような面倒な役回りをする気にもなったのだろう。
 「アテカ・コルレットといいます。アテカと呼んでください」
 何やら、男の苦労が忍ばれるような気がしてアテカは名を告げた。
 「アテカか。いい名だ!あんたにぴったりだ。おれのことは、ナギでいい。おやじが異国人でな。名前より、こっちの方が気に入ってるんだ」
 ナギというのは、恐らく姓なのだろう。変わった衣服だと思ったわけは、そういうことだったのである。アテカは頷き、歩き出そうとした。だが、その時―――
 
 「話なら、おれがしてやろう」
 どこからか、低く、くぐもったような声が届いた。
 「その方が手間が省けるだろう。なあ、お嬢さん?」

 うっと息を詰めたナギが、弾かれたように声の方を振り返った。と、見る間にその大きな身体が強張ってゆく。
 「くそっ・・・なんてこった・・・ありゃあ、サガートだ・・・」
 「サガート?」
 じっと前を見つめる男の表情は険しく、ただ事ではないことを知らしめている。さすがのアテカも、緊迫したその様子に何か良くないことが起きつつあるのだということを感じた。
 すぐさまナギの視線を追って通りへと目を向けると、建物を六つばかり越えた路地への入口に不審な男の影を認めた。
 (あれは・・・?)
 全身をぼんやりと闇に沈め、影は静かにそこにいた。
 時折、ぽっと灯る赤い火口の位置から、背の高い男であるということはわかる。白い煙が周囲を漂い、アテカの苦手な葉巻の匂いが流れくる風の中に溶け込んでいた。
 笑っている・・・
 顔も表情も、暗がりが邪魔をして見えない。
 にもかかわらず、アテカはなぜかそう思った。
 胸の奥がひどくざわつき、落ち着かない。
 思わず身じろぎをすると、いきなり丸太のような腕が伸びて、その動きを封じた。
 「動くんじゃねえ!じっとしてろ・・・」
 ナギが声を潜めて叫んだ。
 すると、その言葉に呼応するかのように、闇が蠢いた。
 黒く塗りつぶされた影の中からゆらりと男が現れ、街路へと下り立ったのだ。
 そうして、靴音を響かながら、こちらへと歩き出した。
 「来やがった・・・」
 現れたのは、意外にも短い銀髪を綺麗に後ろへ撫で付けた紳士風の男だった。
 肉の薄いほっそりした顔。そして、高い鼻。切れ長の目は楽しげに細められ、アテカらへと注がれている。薄い口髭を形良く切りそろえ、笑っているかのような口元には細い葉巻が張り付いていた。
 男は、三人のいる場所から十歩と満たないところで止まった。

 「よう、サガートの旦那・・・」
 先に口火を切ったのはナギの方だった。
 「こんな冴えねえ場所にお出ましとは珍しいじゃねえか」
 張り詰めているものを押し隠すように、ことさらゆっくりと言を紡ぐ。隠しようもないのは額を伝う幾筋もの汗だったが、それに気づく余裕もない。
 「いつからこんな殺風景なところが気に入ったんだ?それとも健康のための散歩ってやつかい?煙草の吸いすぎで肺が腐っちまってるからな。旦那にしちゃ、いい心がけだぜ。だが、覗き見ってのは、らしくねえんじゃないか?」
 「そうかい?」
 憎まれ口を気にした風もなく、サガートはさらりと受け流した。
 「おまえが気づかなかっただけだろう?」
 なあ、と細い顎をしゃくる。
 「そっちの坊やは気づいてたぜ?」
 アテカがはっとして振り返ると、いつからそこにいたのか、すぐ後ろにデシムの姿があった。 

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